「呼吸」という営みは「呼気」と「吸気」で成立し、「呼気」は吸う息「吸気」を呼び込むための吐く息をあらわしています。「呼気」は副交感神経に対応し「吸気」は交感神経に対応しています。
さらに「呼気」は水のようなエネルギーです。 一方「吸気」は火のようなエネルギーです。
実は私たちはこの世にオギャーと吐く息を使って産声をあげます。しかしながら第一声は初めて吸い込んだ「吸う息」の反射なのです。最初の呼吸は「吸気」です。次にオギャーと泣く「呼気」を力強く手放して再び「吸気」を呼び込みます。
「呼吸」とは火と水のエネルギーのように集中と拡散のエネルギーを交互に繰り返す営みですが、私たちは物質界に登場する時 火のようなエネルギーを取り込むことから命をスタートさせます。
一方、物質界から去る時つまり死を迎える時は水のようなエネルギーに導かれ息を引き取ります。つまり「呼気」を手放して終わります。
この場合の「呼気」の役割は何でしょう?一体何を呼び込むのでしょう?
きっと、何かがまた始まるのでしょう。。。
呼吸の循環が酸素を受け入れて、二酸化炭素を手放す営みのみならず、生と死の通過儀礼においてある世界の始まりと終わりと始まりと・・・・・なーんて、まるで永遠の流転にまで拡散していきかねない。
「呼吸」を哲学すると壮大な生と死と再生の循環にまで想いを馳せることも可能です。
実際「呼吸」の中の記憶はリバーシング・再誕生も過去生も中間生も思い出せます。
これもまた集中と拡散をくり返し成長し続ける宇宙エネルギーと同様の営みだからこそ起きることと言えるでしょう。
その営みをある人は神様=火水様の業であるとも言います。
古代より水と火を祭って来た天河で私たち自身の内なる火水様との出会いを呼吸が果たしてくれるかもしれません。
追記
そして、なぜに水火様と呼ばないのかなあ???みかさま〜でよかろうに。
「天河神社での火渡りの薪を燃やす時、まずは水を出し切ることから祭事を執り行うため、生木の香木で火をおこすそうです。
さすれば、「呼吸」の理屈でいうと火のエネルギーを呼び起こすためにまずは水のエネルギーを手放すことありきといえそうで。
嗚呼、収拾がつかなくなってきたので、
お・し・ま・い。
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