逗子花火のエンディングは、その豪華さ美しさで群を抜いており、地元では「今年が最後かも・・・」などと、毎年見納める気持ちで迎えてきた夏の恒例風物詩であった。
去年は花火大会そのものが中止となったため、今年から初夏開催として新たにリスタートである。
用意された花火の数6,000本と逗子花火大会にかける地元の人達とスボンサーの意気込みはかなりのものである。
その思いは前評判に違わず十二分に私たちのハートに熱い愛の華火として打ち込まれた。
撮影は厨子海岸を一望できるマンションのベランダで行ッた。目高の花火は贅を尽くした千載一遇ものであり、それを記録することは技術に疎い私としては緊張を覚えて当然のことであった。
さらにその緊張感を凌駕する、ある期待感も持っていた。
実はここで暮らしてきた友人達は、ここ3年間はこの時期になると花火どころではなく決まって精神的に失速、混乱、失調状態を繰り返していた。
よって誰かが遊びに来たり、誰かを招いたりできる機会はフリーズしていたのである。
そして、今年は逗子花火が6月2日と決まった時点で逗子海岸を一望する目高の逗子花火大会に私も招いていただき、はつなつを迎えたこの日こうして実現したわけである。
8月に新居を構えることが決まっている友人達にとっても私にとってもここからの花火の宴は最初で最後のはつなつ花火となった。
カメラはその証人として私に引率された。
洋上から立ち昇る幾千もの龍達は火の日輪として逗子の天を焦がし海を照らし、闇に消え波間に溶けていった。
はつなつ逗子花火は私にとって、
またしても火と水のエネルギー統合の儀式とも言えるシンクロニシティである。
しかも友人達のある時代が終わりを告げ、あらたな時代が始まる予期感を呼び醒ますのに、ふさわしい打ち上げ花火となった。
私が映像作家としてこの瞬間を納めることができたことの意味合いは、セラピストとしてのある一定の働きに区切りをつけ、新しい関係性の始まりを意味していたこともあり、感慨深い打ち上げの夜となったのである。
セラピストの私にとって集中力と継続性のエネルギーの両方を駆使しなければならない希有なこれまでの体験であり、結果クライアントとの関係性においてショートスタンスとロングスタンスを統合する試金石となるケースであった。
この部屋の友人達は7年間親しんだ水際の遠景生活からまもなく近景生活も織りこんだ山際の生活を夏にスタートさせる。
その生活は「大切に思われている、大切に思っている」との愛の双方向を隠さない生活だと彼らは今から予見している。
はつなつの逗子の夜空に幾重にも花開いた大輪は、隠さない愛の双方向性を予期した打ち上げ花火である。
打ち上げられる花火の音がこれほど胸に打ち込まれたこともかつてなかった。
愛が感じられたい人も、
愛を持っている人も、
みんな隠さず隠れずに
出ておいで。
手の鳴る方へ。
愛が打ち上げられたはつ夏花火の方へ
闇に咲く火の華を愛でながら人々の愛を供に打ち込み、花開かせ、火と水の結びの宴に参加できたことは、4次元時空の愛の記念日として細胞の記憶にとどめることだろう。
この時空に感謝です。
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